17.メタな自分を作り、心を可視化する
それがメタな自己(自分)です。
メタは、自己の上位にある高次の存在という意味です。
そして、自分が思っていることがこれから自分にどんな悪さをするか、それが見えるようになることを心が可視化できているといいます。
こころを改造するためにまず手に入れたい機能がこの二つです。
1.メタな自分を作る
これ、ボクはそれほど難しくないと思っているのですが、個人差があるかもしれません。
ボクの場合、何か思ったりした時、すぐそうしている自分を意識する(あっ、今ボクは腹をたてたな)ことを繰り返しているうちに、次第に習慣的にそれができるようになりました。
これができるようになると、「渦中」から一歩身を引いてクールな気持ちで事態に立ち向かうことができるようになるのですが、それができるようになるにはコツがあるみたいです。
『ダーリンは外国人』という有名な漫画がありますが、その著者の小栗佐多里(さおり)さんが出した
精神道入門
という本があります。
これはいわゆる「精神修行」の世界をのぞいて見た一種のルポで、以下の修行が漫画と文字で楽しく紹介してあります。この本、おすすめです。
- 瞑想
- 写経
- 座禅
- 滝行
- 断食
- お遍路
- 内観
その最初に出てくるのが「瞑想」ですが、これがボクには面白かった!
そして、この方法で訓練すれば、誰でも意外と簡単にメタな自分を育てることができるのではないかと思います。
まずはそのサワリの部分を漫画でどうぞ。
要するに、自分は自分の感覚器官から入ってくる情報だけにフォーカスし、頭の中で湧き出してくる想念を見つけるたびに排除するのです。
感覚器官から情報が入るたびに「サティ(気づき)」を入れて確認し、想念が湧いてきたら「雑念!」とサティを入れて排除するのです。
小栗さんは実際に体験されたのでよくわかっておられ、たとえばどこかが痛くても「痛い」ではなく「痛み」とサティを入れます。「痛い」では「渦中」に居ますが、「痛み」だと一歩引いて外から観察している感じがよく出ています。
この訓練の目的は"感覚のみになることで「自我」を捨てるということ"だと小栗さんは記していますが、一方で自分を観察しているメタな自分がどんどん育って(=強化されて)行くことがおわかりいただけると思います。
ところで、ボクはアフタークリニックのコメンテーター時代、この方法で悩みの元となる想念を排除することを会員さんに勧め、好評でした。
その方法は、たとえば上司から厳しい一言を投げられてそれが気になって仕方ない、などという時、いつまでもクヨクヨ考えていると本当に体調を崩したりしてしまいます。そんな時、上司のことが頭に浮かんだら、即座に「カット、カット」と言ってその想念を頭の中から消してしまうのです。
浮かんだら即座に、というのがポイントです。
ちょっとしたことが気になってならないというのは、人にもよりますが、多くは「心のクセ」です。
注意されるとそれを過度に一般化して「部長はいつも自分ばかり責める」と思ったり、「自分はいつも失敗する」と決めつけたり、親切心からのアドバイスを素直に受け止められず「自分にはいいところなど一つもない」と悲観してしまったり、その挙句「どうせ自分なんて何もできないよ」とヤケになったりすることは誰にでもあることですが、メンタルをやられるタイプの人ではそういう思考がクセになっていることが多いと思います。
そんな人は、心の調子を回復させるためにまずそういった想念(雑念)を排除する必要があり、そのために「カット、カット」は大変効果的です。
さて、この「自分が考えていることを同時に自分で意識する」訓練は、思いがけない状態をプレゼントしてくれます。
それは「覚醒」です。
皆さんは「両眼立体視」の経験がおありと思います。
左半分と右半分に、少しずれた絵が印刷してあって、それぞれ左右の目で見て頭の中で一枚の絵に統合すると立体的に見えるというアレです。
立体視ができると、その瞬間に絵が通常よりくっきりと見えることに気づきます。それと似たような感覚をメタな自分を育てる訓練でも体験することができるのです。
うまく言えませんが、自分という世界が立体的で細部までクッキリ見える、そんな感じになるのです。
情報量が増えることで覚醒する類似の例をもう二つほど挙げてみます。
音楽(ポリフォニー)
高校時代の国語の教師が、自分にはどうしても音楽が聴き取れないとぼやいたことがあります。どういう意味かというと、和音が一つの音の塊としてしか聞こえず、たとえばドミソの和音を独立したドとミとソの音の重なりとしては聴き取れないというのです。
それを「告白」された当時、ボクもそうだなと思いました。
それどころか、ドミソの和音とレファラの和音の区別もつかず、主旋律に意識が向いている時は伴奏はなんとなく背後で響いている音としか捉えられず、分離できませんでした。
それがグールドの演奏するバッハの平均律を聴き込んで以来、次第に変わっていきました。
バッハの音楽は主旋律と伴奏という構造ではなく、独立した旋律が幾重にも絡んでいく対位法(ポリフォニー)と呼ばれる作りになっているので、同時に何本もの旋律が流れていきます。それが分離して同時に聴き取れるようになりました。
ピアノの練習でも、パートAを弾きながら声でパートBを歌うことがありますが、これも独立に動く音楽脳を育てるのに役立ちます。
オペラの二重唱や三重唱でもソプラノとアルトが「同時に」聞き取れるようになり、この間観たフィガロのように字幕付きだと(今は舞台の上にセリフの翻訳が字幕で表示されるんですね!)、そこに日本語の意味を重ねることができ、より立体的に音楽を理解できるようになりました。
この時、頭もハッキリと覚醒するようなのです。
音楽体験を積み重ねることによってボクの脳の中身が変わり、独立に働く「音楽脳」が不完全ではありますが複数でき、そのために多くの脳領域が活性化するので精神が覚醒するのだろう、とボクは想像しています。
トレラン
三年ほど前、八ヶ岳で石ころだらけの道を石の上に乗って走り降った経験がありましたが、そのときは走り終わってもしばらく脳が異常な活性状態にあったことを鮮明に覚えています。
当時の日記です。
先日の山登りで気づいた点があります。
それは、濡れて滑りやすそうな岩だらけの斜面を"飛ばして"いた時のことです。
「脳」が悲鳴をあげたのです。
岩場の飛ばし方について、ある本にこのような図が載っていました。要するに、岩と岩の間の地面を慎重に選んで歩くのではなく、目立つ岩の上の部分をポンポンと飛んでいくと速く通過できるというのです。
実際やってみると、この方がむしろ確実で、ほとんど滑りません。
と言うより、滑る前に足はもうその岩を離れているのです。
石の上を飛びながら下る時も、次に足を置く石を見定めると同時に、次の次に置く石を探しながら、もしスリップした場合に足を逃す石も探すという離れわざをこなすわけですが、そうすると道全体がくっきりと立体的に見えてきて、同じ時間で多くのことができそうな気分になります。
しかし、息つく暇もなく次々と岩を選んでその上に飛び移っていくので、脳はまったく休むことができず、極限の緊張状態が続きます。
1時間くらい走っても体はまだ大丈夫ですが、脳はもう限界だと言ってくるのです。
ところが、双子池に着いてからの脳の働き方は普段の数倍も活発でした。
いろいろなものがよく見え、いろいろなことがよく理解できるという感じだったのです。
一言で言えば brilliant でした。
脳をより広範囲にハードに使う/使えると、対象の認識の度合いが別次元に移行する、という印象でした。
2.心を可視化する
これもまたトレーニングを積み重ねることでできるようになります。
どんなトレーニングかというと、心の状態を言葉で表現してみることです。
ただし、今、この瞬間の心の状態・・・というのではありません。
自分がとらわれている問題とそれに対する対処に関連した心の動きを文章にしてみるのです。
それには根気の他にフレームワーク(形式、フォーム)が必要です。
まず、自分の心を占めている問題を取り上げます。
悩みも、それを何とかしようとしているのなら、「問題」です。
問題とそれを解決するために取ろうとしているアプローチを一覧可能にして、全貌を把握できるようにします。
自分のやろうとしていること(これも心の一部です)の可視化です。
この目的のために、ボクは「マンダラート」というフォームを採用するのが良いと考えました。
取り組んでいる問題が複数あれば、マンダラートも複数になります。これらを眺めることで、自分の心を占めている問題が全て明らかになります。
問題の可視化に続き、自分の心の働き方を可視化します。
心療の世界で治療効果が高いと認められている手法の一つに「認知行動療法」があります。これは「心のクセ」を修正するワークシートで、落ち込んだり不快に思ったり不安を感じるたびに、その時の自分の「心のクセ」を可視化して、それに修正を加える作業を繰り返し行うことで、思考の柔軟性を取り戻し、ネガティブ思考をバランスのとれた現実思考に変えていくテクニックです。
一種の「減感作療法」とも言えますが、これをいろいろな問題に適用して書き続けていると、次第に自分の心(のクセ)が見えてきます。
今回は、メタな自分を作り育て、その力を借りて自分の心を占めている問題や心のクセを可視化する方法を論じました。
マンダラートと認知行動療法ワークシートの具体的な使い方は章を改めて紹介するつもりです。


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