16.観音菩薩から学ぶ
観音というのは、インドの言葉で「見る、眼、光る、放送」などを意味する言葉Avalokitaと「音、声、耳、受ける」などを意味する単語Icvaraが合体してできた言葉Avalokitecvaraだそうで、たしかに「観」ると「音」(を聴く)という文字が当てられています。放送局と受信機を一緒にしたものが観音さまだというのです。
菩薩というのは「智、悟を意味する」言葉(Bodhi 菩提)と「情、衆生」を意味する言葉(Sattva 薩埵(さった))を並べたもの BodhiSattva で、悟った人間という意味になります。
つまり、観音菩薩は「自ら発信し、受信する賢人」という意味だそうですが、この「自ら発信し、受信する」というのはどんな意味だろう?
Twitterなどなかった時代のことですからね(笑)。
ボクはこれを「人間は外からの刺激に弱い」というスキナーやグルジェフの観点で解釈し、外からの刺激の代わりに内なる声を活用する戦略的思考を意味していると考えました。
外からの声に惑わされず、自分の内なる声に導かれて進むことのできる賢い人。それが観音菩薩だと。
内なる声が強い力を発揮する例はいくらでもあります。
「病は気から」と言いますが、自分は治ると強く信じていれば本当に治り、逆に自分はもうダメだと思うと急速に衰えるなどがそれです。
外からの刺激に反射的に反応する自分の心を抑え、代わりに自分の内なる声を聞かせるメソッドがあれば、人間はこの窮境から抜け出すことができ、思考を暴走させず、自分の思う方向に向かせることが可能になるのではないかと、この話を聞いてボクは思いました。
つまり「こころ改造」ができる、と。
しかし、その前にはっきりさせておかなくてはならないことがあります。
おかしな方向にこころが逸れそうになった時、その場に合った適切な内なる声を自分が自分にささやくためには、自分のこころが今どこへ向かっているのかを知ることと、適切な声を選ぶことができなくてはなりません。
言い換えれば、自分を見つめる自分(メタな自己)がこころの中に居なくてはならず、さらに自分の取扱説明書(トリセツ)のようなものがなくてはなりません。
こうして、「こころ改造」を実現するには
- メタな自己によるこころの可視化
- こころのトリセツ
が大事であることが見えてきました。
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