11.つらくなってきた
ジムは原則として週三回、行きました。
コロナで休業中は、トレーニングの一環として始めた「ノルディック・ウォーキング」で、港北ニュータウンの遊歩道を歩いたりもしました。ここはいろいろなコース取りが可能ですが、主要な公園を一通り回ると16km以上あり、結構な運動量(所要時間は4時間弱)となります。
こう記すと、快調に運動していたように思われるでしょうが、実は異変が起きていたのです。はっきりした日付があるわけではないのですが、70歳を超える頃から週三回のジムがつらくなってきていました。
初めは天気の悪い日などに体や頭が重く感じられるようになり、今日はジムはお休みだな、と思うことが増えてきました。気象病という言葉がありますが、それだと思ったのです。
子供の頃、年寄りが天気が悪くなる前兆であちこち体が痛くなるなどと話しているのを聞いて、変なことを言うなあと思ったことがありますが、それがボクの身に起きているのでした。
気圧の変化を神経の痛みとして感じるのでしょうか。
それからしばらくすると、天気が悪くなくても同様の症状に見舞われるようになりました。
疲労が溜まった時と同じ感じなのです。
昨日は何もしなかったのにおかしいなあと思いましたが、無理してさらに調子を崩すのは困りますから、その週はトレーニングに行くのは二回にしました。
そんなことが重なり、
ジムに行くのはつらい
と思う日が増えてきました。
これは歳をとったためだと気付いた時はショックでした。
行けばこれまでと同じレベルの運動ができるので、体が弱くなったとは思いたくありませんでしたが、気持ちが下がってきたのは厳然たる事実です。
なかなかそれを認めたくない自分がいましたが、脳生理学的に言って、ジムでトレーニングするのを習慣化するのに一番必要なことは
ジムに行くのは楽しい
と感じること(快感脳を育てること)なのですから、これは大問題でした。
その時考えたのは、こんなことです。
加齢とともに弱ってきたのが事実として、ではこれからどうしたらよいか。
回数を減らすか、負荷を減らすか。
ここでボクは原点に立ち戻り、からだ改造における運動の目的についてもう一度整理してみました。
人体は「代謝系」「輸送系」「修復系」からなっていて、代謝系で作られた産物が輸送系で傷んだ器官に届けられ修復に使われることで「超」健康が実現するわけですが、運動は第一に血の巡りを良くすること、つまり輸送系として機能することが求められます。
ということは、運動はなるべく回数を多くしたほうが良いということです。
もちろん、運動の目的はそれにとどまらず、ボクの場合、老いて体が不自由になり、行きたいところに行けずしたいこともできなくなっていった両親の轍を踏まないよう、筋肉や骨格を鍛えて「移動の自由」という人間の究極的な自由を最後の日まで保証するためでもあります。
いや、むしろ移動の自由が先で、それを保証するために胴体や脳神経系があるのかもしれません。なぜなら、動物は移動できなくなれば食べ物を手に入れることができず死んでしまうからです。「西式健康法」の創始者西勝造さんも"四肢の活動のために五臓六腑が存在している"とのべています。
さはさりながら、四肢もそれ以外も一体として生物体なのですから、体を体として機能させるべく、負荷を落としても回数を維持したほうが良いと判断しました。
負荷を減らしても良いから回数は維持する
これが70代になったボクの基本方針となりました。
ちなみにボクの通っているジムでは、最高齢の会員さんは80代前半の方です。
つまり頑張れればそれくらいまではジムでトレーニングできるということです。
(もっともそういう人たちはジムではゆったりと過ごし、むしろ風呂に入りに来るのが目的と言えるかもしれません(笑))
しかし、世の中にはスーパー老人と言われるものすごい体力の持ち主もいて、その生き方の秘密はどこにあるのか、ボクに真似できる点はないか、少し調べてみました。
これについては次回にレポートしようと思います。
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